嶋上郡衙(ぐんが) 跡 

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2018-12-17

国の史跡に指定されている「嶋上郡衙(しまがみぐんが)跡」。
皆さんはどこにあるかご存じでしょうか?
 
城跡公園や上宮天満宮、今城塚古墳などに比べると、高槻でもずっと知名度が低い嶋上郡衙跡。
試しに、高槻で生まれ、かれこれ75年以上この地に暮らす筆者の父に、「嶋上郡衙跡って知ってる?」と聞いてみましたが…。
「それ、どこやったかな?」と返されてしまいました^^;
 
国から指定を受けるほどの場所なのに、これほど低い認知度ではあまりにも残念!
早速現地に行って、「嶋上郡衙跡」とは何なのか徹底調査してみることにしましょう♪

高槻Lifeの写真1

嶋上郡衙跡は、JR高槻駅北のりばから高槻市営バス「関西大学」行きに乗車し、「清福寺」というバス停で下車します。
「嶋上郡衙跡」という言葉は聞き慣れなくても、毎年11月に高槻市農林業祭が行われる会場だと聞くと、ピンとくる人も多いのではないでしょうか。
筆者の父にもそう伝えると、「あぁ、あそこか!」と思い出していました(^_-)
 
https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=249&cid=39
 
嶋上郡衙跡は、実は非常に広範囲にわたる遺跡です。
地図で地元の小学校や今城塚古墳と比べてみると、その広大さがよくわかりますね。

高槻Lifeの写真2

郡衙とは、郡の役所のこと。
1970年、この場所から、摂津国嶋上郡を表わす「上郡」という字がはっきりと読める土器が発見されました。
それまで、近畿地方では郡衙跡が見つかっていなかったため、非常に貴重な歴史的遺跡として、1971年5月、国の史跡に指定されたのです。
その後も、高床倉庫や道路、回廊の柱、銅銭など様々なものが出土しました。
 
現在はのどかな田園地帯ですが、今からおよそ1300年前、律令制のもと、この場所に摂津国嶋上郡の戸籍や徴税を司る政治・経済の中心地があったと思うと…。
また、高槻の歴史の奥深さを再認識させられますね☆

高槻Lifeの写真3

例年、農林業祭が開催される場所は、「ぐんが西仮設広場」と呼ばれています。

高槻Lifeの写真4

(イラストは、どちらも高槻市教育委員会が設置した看板を撮影したものです。)
 
そこから、道路を隔てた東側に「ぐんが東仮設広場」、さらにその隣には、郡衙の3分の1の再現モデルが設置されているのです。

高槻Lifeの写真5

このように一見すると、ただレンガが敷かれた広場のように思えますが、近づいて確認すると…!?

高槻Lifeの写真6

「回廊」「正門」「脇殿」「西門」…などそれぞれの場所に、文字が刻まれています。
そう、ここ嶋上郡衙跡では、大昔の郡庁院の配置を「見て」「歩いて」体感することができるのです。

高槻Lifeの写真7

正殿から正門を見た様子です。
実際には、この3倍の広さだったそう。
かつてこの高槻の地、嶋上郡衙がどれほど栄えていたのかをひしひしと感じることができますね!
 
「ぐんが西仮設広場」から少し奥へと歩いて行くと、素戔嗚尊神社があります。

高槻Lifeの写真8

嶋上郡衙が最盛期だった頃には、おそらく寺院(芥川廃寺)があったのではないかと推定されています。
神社の創建年月は不明とのこと。

高槻Lifeの写真9

境内には立派なご神木がそびえ立っていました。
高槻の街の移り変わりをいったいどんな思いで見つめているのでしょうか。
これからも、ふるさと高槻をお守りください…。
静かな神域でそっと手を合わせます。
 
今回、嶋上郡衙跡を訪れてみて、高槻に住んでいてもまだまだ知らない歴史スポットが多いことを改めて感じました。
温故知新の精神で高槻の歴史を学ぶこと。
それは、私たち高槻市民に課せられた「過去と未来をつなぐ」大切な使命なのかもしれません。
古代の遺跡を歩きながらふとそんな思いにとらわれた、冬のある日の昼下がりでした。

高槻Lifeの写真10

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2018-12-17