実はスゴイ!「高槻・鉄道トリビア」

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2022-12-26

前回、高槻駅からたった13分で、京都駅まで運んでくれたJRの新快速。
特急料金もかからないのに、大阪・京都間をたった30分でつなぐ、とても便利な新快速の唯一の停車駅が高槻駅です。
 

高槻Lifeの写真1

「大阪~京都間で新快速が停まるほぼ唯一の駅…JR“ナゾの停車駅”「高槻」には何がある?」と文春オンラインでも取り上げられた高槻駅。
 

高槻Lifeの写真2

(引用: https://bunshun.jp/articles/-/58555 )
 
今回は、高槻市民でも意外と知らない「高槻・鉄道トリビア」を探ってみましょう☆
 
 
大阪府下4番目の面積を持つ高槻市。
それなのに、駅の数は…?
JRの「高槻駅」、「摂津富田駅」、阪急の「高槻市駅」、「富田駅」、「上牧駅」とたった5つしかありません。
 
200以上の駅を持つ大阪市、40を超える堺市は言うまでもなく、14の吹田市、12の枚方市、12の豊中市、11の茨木市…と近隣の市町村と比べても、思いのほか少なくてびっくりしてしまいますね。
 
でも、実は高槻市、「駅の数」では見劣りしていても、「鉄道の歴史」という意味では、大阪市や京都市にも肩を並べるほどなのです。
 
今年10月に開業150年を迎えた日本の鉄道。
それでは、高槻駅の歴史はどれくらいでしょう?
100年? 120年??
違います、何と146年です!
 

高槻Lifeの写真3

旧新橋停車場跡 プラットホーム
 
日本の鉄道の歴史は、明治5年(1872年)に、新橋・横浜間の開業によりスタートしました。
関西では、2年後の明治7年に、大阪・神戸間で開業し、現在のJR大阪駅は、「梅田駅」、「梅田すてんしょ」などと呼ばれるようになります。
そこから、さらに2年後、今度は大阪から京都・向日町へと延伸開業。
 
このとき、大阪・向日町間の「唯一の途中駅」として設置されたのが、「高槻駅」だったのです。
京都駅の開業が明治10年のことですから、明治9年に始まった高槻駅は、それより長い歴史を持つということになるのですね!
 
このように歴史を振り返ってみれば、そもそも「中間駅」という役割を担って誕生した高槻駅。
大阪・京都間で、新快速や一部の「はるか」・「サンダーバード」が唯一止まるのも納得という気がしてきました。
 

高槻Lifeの写真4

ちなみに、当時の高槻の人口は、3000人に届くかどうか、戸数にすると700程度だったといわれます。
むしろ、富田の方が栄えていたのでは…ということで、こちらにも、大正13年(1924年)に「摂津富田駅」が開設されました。
 
 
その後、昭和3年(1928年)には、「新京阪鉄道」の延伸に伴い、「高槻町駅」、「富田町駅」が新設されました。
これが、後の阪急「高槻市駅」「富田駅」です。
そのため、私たちが幼い頃には、まだ阪急京都本線を「新京阪」と呼ぶお年寄りも多くいらっしゃいました。
今の子どもたちが聞くと、「えっ?京阪が高槻を走っていたの?」と驚くかもしれませんね(^_-)
 
 
さらに、昭和9年には、「上牧桜井ノ駅駅」という「駅」が二つも並ぶ、不思議な名前の駅ができます。
こちらが、現在の「上牧駅」です。
 
ちょっと言いにくい名前の由来は、楠木正成・正行親子の「桜井の別れ」で知られる、島本町の古代律令制の駅家名「桜井駅」に由来します。
当時の「尊王愛国」の思想のもと、教科書にも載るほどのヒーローだった楠木正成。
そのゆかりの地に最も近い駅として、この名前が付けられたのでしょう。
もし、今もこのままだったら、車内アナウンスで舌を嚙みそうですね^^;
 

高槻Lifeの写真5

このように、日本の鉄道開業当初から、重要な場所として認識され続けてきた高槻の街。
いよいよ、来年は市制施行80周年を迎えます。
「ふるさと・高槻」の節目の年、私ども小阪工務店もより一層精進していく所存です。
 
令和5年が、皆様にとって素晴らしい年となりますように…。
本年も誠にありがとうございました。
また明年も何とぞよろしくお願いいたします!
 

高槻Lifeの写真6

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2022-12-26