カテゴリ/高槻Life 投稿日/2022-03-13
啓蟄を過ぎ、ここ数日、日中はコートが要らないほどの陽気。
花も虫も、そして私たち人間にとっても、「始まりの季節」が、今年もまためぐってきました。
実は、この高槻に、「大成功へのスタート地点」として名高い史跡が存在するのをご存知でしょうか!?
時は戦国。
誰もが「我こそは!」と天下の覇権を狙う群雄割拠の時代に、まだ地方の一大名に過ぎないものの、「海道一の弓取り」と謳われた大大名・今川義元を圧倒的に不利な状況から討ち果たし、勢いに乗る一人の武将が高槻にやってきました。
そう、織田信長です。
当時、信長は30代半ば。
まずは京都に入り、天下を牛耳る足がかりとして、足利義昭を擁し、高槻・芥川山城の三好氏への攻撃を目論みます。
そのとき、信長が本陣を置いたのが、「天神の馬場」。
現在のJR高槻駅北口から上宮天満宮へと続く高槻阪急前の一本道、西国街道との交わるあたりが、かつて天神の馬場と名付けられていました。
(平成30年2月撮影)
西には、大軍勢も休息できる芥川宿。
桂川を渡れば、京都の入り口・東寺へと続く西国街道。
(平成30年5月撮影)
上洛を目指す信長にとって、まさに、ここ高槻・天神の馬場は、「天下人へのスタート地点」だったのです。
当初の目標を果たし、京都を手に入れた信長。
けれども、皆さんご存知の通り、1582年、明智光秀の謀反に遭い、6月2日、本能寺の変でその生涯を終えます。
けれども、それから、わずか10日後、また、この天神の馬場に本陣を置く人物が現れます。
「中国大返し」の羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉です。
岡山から高槻まで走りに走った秀吉の軍勢は、やはり主君・信長と同様、天神の馬場の最高のロケーションに目を付けます。
ここを拠点として、天王山を先に確保できた秀吉軍は、わずか数時間で光秀軍を敗走させたと伝えられているのです。
このように、当時40代後半だった秀吉の「天下人へのサクセス・ストーリー」も、高槻・天神の馬場から始まったと言っても過言ではないでしょう。
この他にも、三好氏によって京都から追放されていた宣教師ルイス・フロイスが、37歳のとき、高山右近の父・高山飛騨守と待ち合わせし、再び京都への布教へと出発した場所も、天神の馬場だったと言われています。
立場や胸に秘めた野望、性格や目的は違っても、30代、40代と壮年期を迎えた3人が、奇しくも「成功へのスタート地点」として選んだ高槻・天神の馬場。
多くの野心と希望が行き交ったこの地で、令和4年春、皆さんはどんな夢をスタートさせますか!?
カテゴリ/高槻Life 投稿日/2022-03-13
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