安満遺跡公園がいよいよ全面開園!

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2021-03-23

令和3年3月27日(土)、安満遺跡公園が全面オープンします。
早いもので、平成31年3月の一時開園から丸2年。
高槻市の新しいランドマークがいよいよ完成です!
 

高槻Lifeの写真1

(安満遺跡公園 公式HPより https://www.seibu-la.co.jp/park/ama-sitepark/facility/)
 
今年の高槻の目玉イベントともいえる、安満遺跡公園の全面開園。
こちら「高槻Life」でも、新年最初の記事として、整備計画や出店情報をご紹介しました。
https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=502&cid=39
 
高槻のど真ん中に「何か『スゴイもの』ができる」というのは、私たちも十分わかっているのですが、改めて「どう『スゴイ』の?」と聞かれたら…。
返答に困ってしまいますよね^^;
そこで今回は、安満遺跡公園のグランドオープンを目前に、「どこがどう『スゴイ』のか」について徹底分析してみましょう!
 

高槻Lifeの写真2

(同上)
 
「城跡」公園には「高槻城」が、今城塚「史跡」には「古墳」があったことは周知の事実。
それでは、そもそも安満「遺跡」には、何の「跡」が「遺」されているのでしょうか?
実は、安満遺跡の歴史は、高槻城よりも今城塚古墳よりももっと大昔、今から2500年以上前の弥生時代前期まで遡ります。
聖徳太子はおろか、卑弥呼もまだ登場していない時代から、私たちの祖先はこの安満の地に「環濠集落」を作っていたと考えられているのです。
 

高槻Lifeの写真3

環濠集落 例 (吉野ヶ里歴史公園)
 
社会科の授業やメディア等でよく名前を聞く静岡県の「登呂遺跡」。
その登呂遺跡でさえ、弥生時代後期にあたる1世紀ごろの集落だといわれています。
それよりさらに500年以上前の安満遺跡、いかに「スゴイ遺跡」かということがわかりますよね(^_-)
 
環濠集落とは、その字の通り「濠(ほり)」で囲まれたムラをさします。
安満に住む人々は敵の侵入を防ぐため、また水を確保するため、ムラの周りに濠をめぐらせ稲作を行なっていました。
安満遺跡からは、居住跡、水田跡、墓地跡の3区画が発見されています。
 
同じ時期の環濠集落跡とされるのが、こちらも日本史の教科書に出てくる奈良県「唐古・鍵遺跡」です。
 

高槻Lifeの写真4

ただ、唐古・鍵遺跡からは、住居と墓の跡は見られるものの、残念ながら水田跡が発見されていません。
弥生時代前期にこの3区画が揃って見つかっている環濠集落の遺跡となると、福岡県の「板付遺跡」など国内でもわずか数か所しかないそう。
これまた、安満遺跡の「スゴさ」を思い知らされました!
 
このように遺跡としても、日本史上、大きな意味を持つ安満遺跡公園。
でも、注目されている理由はそれだけではありません。
実は、「遺跡」としてだけでなく、「公園」としても非常に意義のある特徴を持っています。
 

高槻Lifeの写真5

安満遺跡公園のコンセプトは「市民とともに育てつづける公園」。
一般的な公園のように、市が中心となって完成させた「箱物施設」を市民に利用させるのではなく、あえて未整備の緑地を残し、高槻市民が主体となって公園整備や運営にあたっていく「ハーフメイド」の公園を目指しています。
 
「歴史」「防災」「自然」「あまマルシェ」など8つの活動グループを持つボランティア団体「安満人倶楽部」を中心に、市民自らの手で誰もが楽しめる素晴らしい公園へと成長させているのです。
https://amando-club.jimdofree.com/
 

高槻Lifeの写真6

まるで「子育て」するように「公園育て」をするなんて…。
全国的にも斬新なこのコンセプト、まさに「スゴイ!」の一言ですね☆
 
このように、過去だけではなく、未来に向かっても「スゴイ」施設となりそうな、安満遺跡公園。
他にも、開園してみないとわからないもっとたくさんの魅力が隠されているはずです。
皆さんも、自分だけが知っている安満遺跡公園の「スゴイ!」を見つけてみてはいかがでしょうか♪
 

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2021-03-23