牛地蔵に見る高槻・街道ロマン

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2020-10-25

今では、大阪・高槻に暮らしていても、当たり前のように食べられる福井・若狭湾の海の幸。
けれども、かつて日本海の恵みは、たくさんの人々や動物たちの苦労があってこそ届けられるものでした。
今回は、そんな古の高槻・街道ロマンにしばし浸ってみることにしましょう。
 

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高槻を代表する紅葉の名所・神峰山寺。
新名神の開通等により、車でのアクセスは昔ながらのルートとは別になっていますが、本来の参道入り口には、今も立派な大鳥居がそびえたっています。
 

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そして、そのすぐ足元に建てられているのが、牛地蔵です。
 

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現在のように交通の便が発達する以前は、若狭湾でとれた魚介類は「荷役牛」と呼ばれる牛たちが重たい荷物を背に一歩一歩運んでくるのが通常でした。
 
また、牛たちは、ちょうどこの神峰山寺の参道の横を通る「京坂越」の難路を進み、成合を越え、さらに淀川の前島浜へと高槻・原の名産品である寒天なども届けていたのです。
 

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豊臣秀吉が、自身の居城である大坂城と伏見城を結ぶため作らせた淀川沿岸の文禄堤。
これが後に、大阪から枚方、京都、大津へとつながる京街道になっていきます。
往時はこの道にも、たくさんの牛や馬が行き交っていました。
 

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明治時代に神峰山寺の僧であった近藤大道が、原の美しさを称えた「原八景」。
その一つである「京坂帰牛」には、当時の物資運搬を支えた牛たちの様子が詠みこまれているのです。
 

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そんな牛たちを労うため、江戸時代、1833年に建立されたのが、この原の牛地蔵。
 

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美しく供えられた花々と可愛らしい草鞋を見ると、令和の時代になっても地元の人々から大切に祀られていることがわかりますね。
 

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さらに、「クサ=草」を食べる牛は、「クサ=瘡(乳児の湿疹)」を取り除いてくれるとも考えられてきました。
また、脚の丈夫な牛にあやかることで、足の痛みに悩む人たちにもご利益があるといわれています。
 

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今も和やかな田園地帯が広がる原の地にも高速道路が走る時代となり、もはや若狭湾から懸命に海の幸を運ぶ牛たちの姿は見られなくなりました。
それでも、日本人の琴線に触れるこの高槻の名勝にひっそりとたたずむ牛地蔵の優しい眼差しは、今日も私たちに古のロマンを伝えてくれているのです。
 

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 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2020-10-25