カテゴリ/高槻Life 投稿日/2020-09-15
皆さんは、高槻と聞くとどんなものを連想しますか?
高山右近、ジャズストリート、摂津峡、うどんギョーザ…。
少し考えただけでも、バラエティ豊かなキーワードが次から次へと思い浮かんできますが、実は、ここ高槻、「将棋のまち」でもあるのをご存じだったでしょうか?
現在、160名ほどいる男性プロ棋士。
そのうちの7名は、高槻にゆかりのある人物です。
なかでも、現役最年長棋士の桐山清澄九段は、「令和初の竜王名人」豊島将之竜王の師匠としてもよく知られています。
このデータからだけでも、高槻と将棋の深い結びつきが伝わってきますよね。
https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=348&cid=39
さらに、高槻市は、平成30年9月、全国の自治体としては初めて日本将棋連盟との協定を締結しました。
また、昨年12月からは、浦野真彦八段が高槻市の教育委員会委員を任されています。
将棋を通じて、青少年の健全育成に取り組む。
そんな高槻市の意気込みがひしひしと伝わってきます。
今年1月25日、26日には、第69期大阪王将杯王将戦七番勝負の第2局も、摂津峡・山水館で行われました。
これにあわせて開かれた高槻現代劇場での大盤解説会には、なんとあの羽生善治九段がサプライズ登場!
同日開催の「第1回高槻こども王将戦」でも飛び入りで挨拶を行ない、当日参加した91名の小学生棋士たちを大いに盛り上がらせたのでした☆
もともと将棋の起源は、古代インドにあるといわれています。
その後、どのようにして日本に伝わってきたのかは分かっていませんが、奈良の興福寺の境内から、「天喜6年(=1058年)7月26日」と書かれた木簡と共に将棋の駒が出土。
どうやら平安時代までには、将棋の原型となる遊びが広まっていたと考えられるのです。
現代の将棋と同じようなものになったのは、15、6世紀以降のこと。
このとき、世界でも類を見ない「相手の駒を自分の持ち駒にできる」という独特のルールが導入されました。
将棋に慣れている私たち日本人にとって、「持ち駒」は当たり前。
けれど、同じく古代インドに起源を持つとされる西洋のチェスにも、中国の象棋(シャンチー)にも「持ち駒」のルールは存在しないのです。
「敵だった駒も自分の強い味方にする」
「一旦は敵にやられてしまった駒にも、もう一度活躍の場がある」
もしかすると「持ち駒」は、「和の国・日本」だからこそ生まれた「ちょっと不思議でとっても素敵な」ルールなのかもしれません。
敵だったものを排除せず、失敗したものにもチャンスを与える。
そんな優しい将棋のまち、高槻。
「気にしいな。失敗しても間違っても、ちゃんとやり直せばええやん!次は絶対できるよ!!」
私たちもこの街で、子どもたち一人一人にそんな力強いメッセージを贈り続けたいものですね♪
カテゴリ/高槻Life 投稿日/2020-09-15
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