カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-11-11
たくさんの古墳が残る高槻市。
中でも継体天皇を祀ったといわれる今城塚古墳は、非常に有名です。
でも、実はそれ以外にも一つ、日本の歴史を大きく変えた人物が眠る場所が、ここ高槻にありました。
現在の明日香村
阿武山の中腹、標高およそ210mの尾根上にあるのが、阿武山古墳です。
高槻市民の皆さんには、こちらの歳時記でも取りあげた、京都大学地震観測所のある場所としても知られています。
https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=257&cid=39
1934年、未盗掘の状態で見つかった阿武山古墳の棺の中には、50~60歳ぐらいと思われる遺体が納められていました。
頭の部分には大量の金の糸。
どうやら当時最高の技術で作られた冠帽が納められていたようです。
このような冠帽を被ることができる者、日本で唯一「大織冠」の地位を授与されたこの男性の名は…!?
藤原鎌足。
中大兄皇子(後の天智天皇)とともに大化の改新の立役者となり、藤原氏の栄華の礎を創り上げた人物です。
wikipediaより
藤原鎌足(当時の名は中臣鎌足)は、614年、現在の奈良県高市郡明日香村で生まれました。
時はまさに「飛鳥時代」。
この明日香村こそが、歴史の中心地だったのです。
現在の明日香村
幼い頃から聡明であった藤原鎌足は、644年、祭祀を扱う役職に推挙されます。
けれども、これを断り、摂津国三島地域(現在の高槻市・茨木市付近)に隠遁してしまいました。
644年といえば、まさに大化の改新の始まりとなる「乙巳の変」の前年。
ここ三島の地で、藤原鎌足はその胸にどのような思いを抱いていたのでしょうか?
時は同じく、644年。
藤原鎌足は、飛鳥寺の西側で開かれた蹴鞠の会に参加します。
現在の飛鳥寺
ポーン、ポーン…。
あっ、一人の貴公子の靴が脱げてしまいました。
すぐに拾い上げ、手渡す藤原鎌足。
この靴を受け取った人物こそが、中大兄皇子だったのです。
二人が出会ったこの場所には、大きな「槻の木」があったと伝えられています。
「高槻」の市名の由来も「槻の木」。
たまたまかも知れませんが、ここでも、「高槻」と「藤原鎌足」、そして「飛鳥」に、何か不思議な因縁を感じてしまいますね。
2016年5月。
高槻市と明日香村は、どちらも藤原鎌足に縁深い場所であるということがきっかけで、包括連携協定を締結しました。
高槻市インターネット歴史館より 協定書に署名する森川村長と濱田市長
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/kanchou/1465776952930.html
藤原鎌足が眠る高槻の地は、「北の飛鳥」として、今後も歴史文化の交流はもちろん、災害時の応援等、住民生活の発展向上を目標に、明日香村との関係を深めていきます。
日本の分岐点を彩った一人の英雄・藤原鎌足は、死後1300年以上の時が流れた21世紀になってもなお、「生誕の地・明日香村」と「終の棲家・高槻」を深く強く結びつける大役を見事成し遂げたのです!
カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-11-11
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