今城焼とは?

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-03-19

ゆるキャラ・はにたんがPR係長を務める高槻市。
言わずと知れた「埴輪のふるさと」です。
はにたんが生まれたとされる今城塚古墳のすぐ近くに、今も1500年の陶芸文化を受け継ぐ今城焼の窯元が存在します。
 
まずはこの窯元をご紹介する前に、今城塚古墳について少しおさらいしておきましょう☆

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まるでそのあたりにある公園と同じように、誰でも気軽に入ることができる高槻市今城塚古墳。
ということは、「古墳といっても、たいしたことないんだろう!?」と考えてしまいそうですが・・・。
 
実は、違います!
なんと、この今城塚古墳、専門家の間では、おそらく「大王=天皇陵」、しかも現在の皇室の礎ともいえる重要な人物が埋葬されていると推定されているのです!!

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もうすぐ、今上天皇陛下から皇太子殿下に御代替りが行なわれ、126代目を迎える日本の天皇制。
私たちの故郷・高槻にある今城塚古墳は、戦前からずっと、ちょうど100代前の第26代継体天皇が祀られていると考えられてきました。

高槻Lifeの写真3

一方、宮内庁が継体天皇陵として定めているのは、茨木市にある三嶋藍野陵、いわゆる太田茶臼山古墳です。
太田茶臼山古墳も確かに大きくて立派な前方後円墳ですが、出土する埴輪などから考えると、どうやら5世紀半ばに造られたもの。
継体天皇が亡くなったとされる6世紀とは時代が合いません。
 
そこで、戦前から専門家たちは、6世紀に造られた古墳の中でも最大級の大きさを誇る今城塚古墳こそが、「真の継体天皇陵ではないか」と提唱し続けてきたのです。
その後、平成9年から行なわれた今城塚古墳の詳細な調査によっても、継体天皇を祀っていることを裏付けるような結果が次々と見つかりました。

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今でも宮内庁は正式に「天皇陵」と認めていませんが、逆にそのおかげで、今城塚古墳は一般人でも出入り自由♪
こういったいきさつで、おそらく天皇墓陵でありながら、私たち市民が毎日何気なく散歩できるという、何とも不思議な歴史的空間が生み出されているのですね(^_-)-☆

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継体天皇は、126代に及ぶ日本の天皇の中でも少し異色の存在です。
通常、天皇といえば、今の皇室の方々と同じように都で生まれそこで成長する・・・というイメージが一般的ですよね。
でも、継体天皇は、当時の都から離れた滋賀県で生まれ、遠く福井の地で成長したと伝えられます。
先代である武烈天皇に後継者がなかったため、急遽、遠縁にあたる男大迹王(をほどのおおきみ)が呼ばれ、継体天皇として即位したと語り継がれているのです。
そして、その後、継体天皇の子・欽明天皇を経て、現在の天皇陛下、皇太子殿下へと続く日本の皇統が、1500年の長きにわたって脈々と引き継がれていくことになりました。
 
この現代の皇室の直接の始祖ともいえる継体天皇の時代、高槻に伝わったのが、今城焼といわれています。
今城塚古墳のすぐそば、高槻市氷室町にある「今城焼窯元 FIELD土香(どか)」では、古の素晴らしい土の文化を今に伝える陶芸家の皆さんが活躍されています!
 
今城焼窯元 FIELD土香 男大迹窯(おほどがま)工房
〒569-1141 大阪府高槻市氷室町1-15-20
TEL.072-696-7519
https://f-doka.jp/

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(※写真は今城塚古代歴史館で行なわれる体験教室のものです。)
 
日本の皇統と同じく、1500年の歴史を引き継ぐのは並大抵のことではないでしょう。
はるか昔からこの地に住む人々が大切に守り伝えてきた土の文化。
これこそ、私たち高槻人のルーツといえるのかもしれませんね!

高槻Lifeの写真7

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-03-19