カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-02-13
最近、じわじわと人気のある「地名学」。
地名の成り立ちを調べてみると、驚きの真実に出会えるかもしれません。
【高槻地名学・第一弾】は、「高槻は昔、『高月』だった!?」という説を徹底調査してみましょう!
高槻市の「槻」。
それほど難しい字ではありませんが、実は小学校では習わない漢字の一つ。
高槻に住む子どもたちの中には、一度ぐらい間違えて「高月市」と書いてしまったという経験を持つ人が多いのではないでしょうか?
でも、史料を紐解いてみると、「高月」もあながち間違いだとは言い切れません。
鎌倉時代に書かれたとされる「摂津国安満庄目録案」の中に、「高月」という記述が残されているのです。
どうやら、場所は安満山の南側、桧尾川周辺の地域を指していたよう。
では、どうしてこの一帯を「高月」と呼んでいたのでしょう?
その答えの一説は、18世紀初めに記された「三島地名考」にあります。
「月弓神(つきゆみのかみ)」と素戔嗚神が祀られた社を「天月弓社(あまのつきゆみのやしろ)」もしくは「高月読社(たかのつきよみのやしろ)」と呼んでいたことが「高月」の由来であるとされているのです。
あれあれ?
素戔嗚尊といえば、私ども小阪工務店も御造営に携わらせていただいた「えべっさん」の野見神社!
もしかすると、この野見神社も「高月読社」に何か関係があるのかも・・・?
他にも、神武東征のおり、この地域の征伐に成功した軍隊が「月」の旗印を使っていたという説もあります。
う~ん、「高月」のミステリー、調べれば調べるほど新しい謎が見つかり、興味の尽きることがありませんね(^_-)-☆
さて、それでは「高月」と呼ばれていた「たかつき」が「高槻」になったのは、いつのことなのでしょう?
18世紀末に書かれた「摂津名所図会」によると、戦国時代、大きな槻の木があった場所が本陣とされたことから、「高槻」という表記が生まれたとされています。
槻の木とは、いまのケヤキの古称。
そのケヤキの大きさは、なんと20丈、およそ60メートルにも及んだといいます。
ケヤキという呼び名は、「けやけき木」という言葉から生まれました。
「けやけし」という古語には、他から飛び抜けて優れている、非常にはっきりとして目立つという意味があります。
また「つき」という古名も「つよき」という言葉が元になっているのではと言われているのです。
ひときわ大きく目立つケヤキの木は、これから戦いのときを迎える武士たちにとって、どれほど頼もしく勇壮に見えたことでしょう。
木としての見た目だけでなく、建材としても丈夫で木目の美しいケヤキは、古来より日本家屋で非常に多用されてきました。
かの有名な京都・清水寺の舞台も、18本のケヤキの柱がガッチリと下支えしているといいます。
高槻が誇る和太鼓も、最高級のものはケヤキで作られるそう
幸運・長寿の木といわれる高槻のシンボル・ケヤキ。
私ども小阪工務店も、ケヤキの木のように、高槻の街をいつまでもしっかりと支えることができるよう、これからも日々精進して参ります!
カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-02-13
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