高槻市にある地震観測所

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2017-12-16

世界的にも評価の高い京都大学の地震研究。
その重要拠点の一つである地震観測所が、ここ高槻市阿武山に存在します。
 
JR摂津富田駅から高槻市バス「公団阿武山行き」に乗り、「大阪薬科大学」で下車、そこから坂道を2㎞ほど登ると、京都大学・阿武山観測所の建物が見えてきます。

高槻Lifeの写真1

(画像出典:オープンたかつき スタッフブログより)

澄みきった青空に美しく映える白い塔。
玄関には円柱、さらには、最近ほとんど見かけなくなった隅丸の窓が使われ、昭和の香りを存分に味わうことができるのです。

高槻Lifeの写真2

(画像出典:オープンたかつき スタッフブログより)

地震研究だけでなく、昭和レトロな雰囲気を満喫できる建造物としても知られる阿武山観測所。
綾瀬はるかや堤真一も出演した映画「プリンセストヨトミ」でも、この阿武山観測所がロケ地の一つに選ばれていたのですよ!

高槻・阿武山での地震観測の歴史は戦前にまで遡ります。
1927年、3000人近くの犠牲者を出した北丹後地震が発生しました。
何とかして地震による被害を最小限に抑えることはできないか、そんな思いを込めて1930年に作られたのが、この阿武山地震観測所です。
 
1995年に観測システムが京都大学宇治キャンパスに移されましたが、一般見学会やセミナー、ワークショップなどを通じて、今も次世代を担う子どもたちに、地震研究の重要性を伝え続けているのです。
 

実は、高槻には、この阿武山地震観測所の建築にまつわる、興味深いエピソードが残されています。
1934年、地震計用のトンネルを掘り進めていると偶然、古墳の一部と見られる石室が発見されました。
「貴人の墓が見つかった!」というビッグニュースを聞きつけ、2万人を超えるともいわれる見物客がここ阿武山に集まります。
けれども、「天皇家」につながるかもしれない世紀の大発見は、当時「不敬」にあたると考えられ、もう一度埋め戻されることが決定しました。

それから50年近くが経った1982年のこと。
阿武山観測所の物置からX線写真が出てきました。
なんとそこには、石室内の様子が写しだされていたのです。
 
 
非常に豪華な副葬品や特別な人しか利用できない金糸の冠帽。
さらには、生前に腰をケガしている痕跡があります。
大化の改新を成し遂げ、落馬が原因でなくなった歴史上の重要人物。
発見当時から噂されていた「埋葬者=藤原鎌足」説がいっそう有力視されるようになりました。
 
天智天皇とともに日本の礎をつくったとされる藤原鎌足。
彼が亡くなったわずか15年後、日本の地震の記録としては最古のものといわれる南海トラフ大地震「白鳳地震」が起こりました。
 
近いうちにまたやってくるかもしれない大地震。
ここ高槻では、今日も、過去の偉人が眠るすぐそばで、未来の日本を守るための観測が行われているのです!

高槻Lifeの写真5

【特別取材】
記事を書いた後、「耐震」取組みについて、小阪社長にお聞きしました。
-小阪工務店としては、地震対策についてどのようなことをされているのでしょうか?
 
(小阪) 弊社は基礎に関しては昔から重厚にやってきました。神社仏閣のお仕事が多かったこともあるかもしれません。何十年ともたせることが必要になってきますので。
 
その為か、阪神淡路大震災の時にも、弊社が手掛けた建築物については瓦が落ちることはありましたが、ダメージは少なかったと思います。
 
-「耐震」を意識してお客様に提案することなどはありますか?
 
(小阪) 実際、お家を建てられる段になると、費用との相談というリアルな話になってきます。いつくるか分からない地震の為に「耐震補強」を全面に施すと、それなりに費用が積み上がってきますので、なかなか踏み切れない。そんな時は、一部屋、例えばリビングだけは「耐震補強」にしますか? というご提案はしますね。万が一の時はご家族全員、リビングに集まって頂ければ良いので。
 
-なるほど、その辺りは柔軟に、現実的な解を見つけてということですね。ありがとうございました。

 

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2017-12-16